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トレンティーノ アルト アディジェ州 2

 ガルダ湖の北端、即ちトレンティーノ アルト アディジェ州の南端にある
リーヴァ デル ガルダ(Riva del Garda)は保養地として有名ですが、
4キロばかり離れた所にあるCascata del Varoneは落差が90メートルもあります。
 リ―ヴァ デル ガルダからは40キロ程北東にあたるトレント(Trento)は太古から
人が住んでいた古い町でこの州の州都です。貴族と僧侶の町といわれるだけあって
お寺やお城が沢山あり、ことにドゥオーモは見事です。
 アルプスから駆け下りてくる感じのアディジェ川に沿い、ブレンネル峠を越えて
オーストリアのインスブルックやドイツのミュンヘン等に通じる道路上にあるので
交通の要衝でもあります。
 トレントより60キロばかり北のボルツァーノ(Bolzano)は人口約10万の町。
ドイツ語ではボーゼン(Bozen)です。鉄鋼業が盛んな所で、町自体は盆地の為夏は
アルプスの麓なのに蒸し暑いのですが、まっすぐ行けばオーストリアとの国境
ブレンネル峠、東へ行けばドロミティの山岳地帯、西は緑豊かなチロル地方への
出発点です。
 例によって立派なドゥオーモその他諸々の教会がありますが、私個人として
見逃せないのは考古学博物館。5千年前ともそれ以上ともいわれる人間の遺体が
展示されています。氷河の中に閉じ込められていたので腐っていません。
背は170cm位。顔は柔和です。占い師みたいな者であったらしく、何か悪いことをして
逃げ出す時に谷間に落っこちたんだろうといわれています。日本のみの笠姿に
よく似た格好をしていますが、下は皮のようなものの重ね着、ふんどしも皮製ですから
すれて痛かったでしょう。この他に当時の生活が時代ごとに人形で立体的に展示されて
いるので、とても面白く、且つ分かりやすい博物館です。
 12月になるとドゥオーモ横の広場に露店が沢山出てクリスマス セールスが始まります
からボルツァーノは冬行っても楽しい所です。
# by amicitalia | 2009-06-30 16:33

トレンティーノ アルト アディジェ州  1

 ロンバルディアも他の州と同じように、我流ながら書きたいこと、紹介したい所は
簡単に説明してもまだまだ沢山あるのですが、きりがないので、この辺で隣の
トレンティーノ アルト アディジェ(Trentino Alto Adige)州にに移ります。
 長ったらしい名前は南部の町トレントを中心とするトレンティーノ地方と
北部、中部を流れるアディジェ(Adige)川の上流地帯アルト アディジェ
(Alto Adige:Altoは高い、上と言った意味)地方の二つを組み合わせたものです。
 面積6213平方キロメートル。人口は凡そ444,000人。
ピエモンテ、アオスタ、ロンバルディア、ヴェネト、フリウリ ヴェネツィア ジュリアの
各州と同じようにアルプス山脈に面しており、素晴らしい山岳風景が見られます。
 アルプスの南北を繋ぐ幹線道路(国道12号線、高速22号線)が州の真中を
貫いており、その西側が穏やかで牧歌的なチロル地方、東側には険しくて奇怪な
山容が連なるドロミティ地方と世界に知られた景勝地が並んでいます。
 この州の大部分は第一次世界大戦が終了した1918年までオーストリア領でした。
今でも殊に北の方ではイタリア語よりドイツ語の方が幅を利かせています。
オーストリア国民だったのにイタリア人になってしまったドイツ人も沢山残っていて、
主にブルーカラーの仕事についているようです。
 彼等はそれまでイタリア人より上位に立っていたのに、ある日突然主客転倒して
しまったことに言い知れないさびしさとどうにもならない怒りをいまだに持っていて
話しかけると、不平、不満が一気に噴出します。一方イタリア人の方は此処も
住んでみれば良い所だよとノホホンとしています。
# by amicitalia | 2009-06-29 12:07

ロンバルディア州 26  モンツァ、 ベルガモ

  ミラノの北約20キロにあるモンツァ(Monza)は人口13万のミラノの郊外都市です。
昔からこのあたりの領主達の別荘地でした。7世紀にはロンゴバルド族が支配して
いました。
 この町で有名なのはF1のレース場で、今年も大きな国際レースが開催される筈です。
 行く機会があったらラ ピッツェリア(La Pizzeria)という店でミラノ式ピッツァを食べて
みて下さい。結構美味しいと思います。

 高速4号線でミラノから50キロばかり東に行くと、ベルガモ(Bergamo) という町を
通ります。
 丘の上と下の町に分かれていて、丘の上は旧市街。サン マルコの獅子の像が
ヴェネツィアに支配されていた頃を偲ばせるラジオーネ館の中にはブラマンテの
「三人の哲学者」の像があります。ヴェネツィアの傭兵隊長だったコッレオーネが
作った礼拝堂はロンバルディア ルネッサンス建築の傑作といわれ、傍の八角形の
洗礼堂も見事です。サンタ マリア マッジョーレ教会にはこの町で生まれた有名な
オペラ作家ドニゼッティのお墓があります。その他素晴らしい建物が固まってありますが、
宗教的なものが殆どです。
 疲れたら喫茶店にでも入ってこの町特産のお菓子ポレンタでも召し上がってください。
ポレンタは元来とうもろこしの粉をお湯で練り上げたものですが、この町のはそれと
そっくりのお菓子です。とても甘いから食べるときは心してください。
 下の町で見るものといったらカルラーラ美術館くらいでしょう。町として美術館もない
のは恥ずかしいとカルラーラという人が作ったものですが、裕福な市民達が持っていた
ものをあつめたので、有名な画家の作品はあるものの、大作はありません。
# by amicitalia | 2009-06-27 13:09

ロンバルディア州 25  レッコ

 二つに割れたコモ湖の東側の端はレッコ(Lecco).コモの町と向かい合った感じです。
コモ湖の東岸の道とミラノの方に抜ける道の接点なのでいつでも交通渋滞の町でしたが
その後バイパスする橋が出来たのでかなり通り抜けやすくなりました。
 有名な小説「婚約者」(I promessi sposi: イ プロメッシ  スポージ)を書いた
アレッサンドロ マンゾーニ(マンツォーニと濁らないで発音する人もいます)の生まれた
所です。
 婚約者はかなりの長編で、大筋はレンツォとルチアは婚約しているのに、山賊の親分が
ルチアに横恋慕し、それに悪徳神父が加わって二人の結婚の邪魔をしますが、結局は
めでたく結ばれるという単純なものですが、背景にコモの周辺やミラノの町中が出てくるので、
ガイドブックとしても役に立ちます。日本訳もありますから興味があったら読んで見て下さい。
# by amicitalia | 2009-06-26 11:37

ロンバルディア州 24  コモ周辺

 コモは隣の駅のキアッソ(Chiasso)のプラットフォームの真中を国境が走っていると
言うくらいスイスに近い町で、近くには第二次世界大戦末期ムッソリーニの娘で貴族と
結婚したエッダ チャーノがスイスに逃げ込む前の晩に泊まったという蔦に覆われた
可愛いホテルもあります。余談ながらこのエッダ チャーノが日本に来た時、列車に
乗る度に父親の名前を呼んでくれるので嬉しいといったとか。ムッソリーニの名前が
ベニートですから駅弁売りの人が「弁当、ベントー」と売り歩く声を聴き間違えたので
大笑いだったということですが、これは嘘の話しです。
 コモの町の西にあるヴァレーゼ(Varese)は靴など革製品の産地として有名でしたが、
そこからすぐのカティリオーネ オローナ(Castiglione 0lona)の人たちはルネッサンスの頃
トスカーナの芸術に憧れ、色々な画家達を招聘しました。ですからこの町にはマゾリーノ 
ダ パニカーレなんていうフィレンツェ派の巨匠の作品が沢山残っています。
 コモからミラノに向かう高速道路を走っていると、途中でサロンノ(Saronno)という
標識が出て来ます。ここの奇跡の聖母廟(Santuario della Madonna dei Miracoli)には
面白い言い伝えがあって、この廟の前に立っていた小さな教会の神父さんのところに
ある晩マリアさんが夢枕に立って、この場所に自分の教会を建てて欲しいと頼みました。
お坊さんは単なる夢だと思っていたところ、同じ夢をその後も何回も見るのでとうとう
村人達にはかって新しい教会を建てることにしました。建築を頼まれたのはレオナルド 
ダ ヴィンチの4人の高弟の一人。彼は工事中近くのつい最近若くして未亡人になった人の
家に下宿していました。そして教会に描く幼児キリストの顔に彼女の赤ちゃんの顔をモデルに
したのだそうです。抱いている聖母もなかなかの美人ですから未亡人かもしれません。
何れにせよ、それに感謝した未亡人は家に伝わる先祖伝来のお酒の造り方を教えます。
今はこのお酒、日本にも輸入されていますが、36種類の薬草を漬けたものだそうで、その
名前を教えてくれと言ったら秘伝だと言って断わられました。ここの教会にもガウデンツィオ 
フェルラーリの絵があります。
# by amicitalia | 2009-06-25 12:55